クリスマスそれは神さまの愛 |
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2018年 12月 16日
ルカによる福音書2章11節「今日ダビデの町で、あなたがたのために救い主がお生まれになった。この方こそ主メシアである」
イエスさまの誕生は最初に羊飼いのところに知らされました。羊は、その頃神様に捧げる大切な捧げものにもなった家畜だけれど、羊飼いというお仕事はどうでしょう。野宿をしながらテントも無しで外で過ごし、汚かったり臭かったかもしれません。そんな羊飼いたちに天使の群れがイエス様の誕生を知らせにやってきたのです。 神様の子としてお生まれになったイエス様。だけど、神様はきらびやかな立派な家ではなく粗末な馬小屋での誕生をさせてくれました。もしも、すばらしい綺麗なところで誕生なさったら羊飼いたちは入ることもできなかったかもしれません。飼い葉桶に布に包まれているイエス様だからこそ会うことができました。 その後、十二人の弟子たちと一緒に暮らすようになり、天のことを教えてくれたイエス様はたくさんの人たちに囲まれながら、中には「罪びとと一緒にご飯を食べている」と悪くいう人たちも出てきました。 イエス様は例え話をしてくれました。放蕩息子の話。弟息子が「お父さんが死ぬ前にどうせいただくはずの財産を分けてください」というので沢山の財産を渡したところ放蕩の限りを尽くし食べるものにも事欠くようになりました。そしてついに父親のところへ帰ることにしました。「とても許してはもらえないだろう」と思い戻りますが、温かく迎えられ祝宴がもようされました。ずっとそばで働いてきた兄息子は「私は一生懸命に働いてきたのになぜ弟だけ!」と憤りますが、「死んでいたも同然の弟が帰ってきたのだ。喜び祝うのは当たり前では無いか」と父親が言います。 どんなに悪いことをしてきたかもしれない、あなたに愛される資格があるんですか?と自分自身で思っても、神様は「あなたの罪は許された」と語ってくれます。 十字架でどんな人でもやり直せるように罪が許されるように、イエス様はこの世にお誕生なさったのです。イエス様を私たちのためにありがとうと感謝しお祝いしましょう。
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by katusikakyoukai
| 2018-12-16 19:58
| 新約聖書 ルカによる福音書
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2018年 12月 09日
アドベント第2週を迎えました。
ルカによる福音書1章26節から、マリアのところに天使がやってきてイエスさまの誕生を予告する箇所です。 詩篇139章には、全知全能の方である神にはできない事は無いと記されています。そして、ルカによる福音書1章37節にも「神にできない事は何一つない」と記されているのです。そのみ言葉は私たちに他の聖書箇所からも教えてくれています。モーセがエジプト軍に追われて絶体絶命になった時に、海を分け道を作られた出来事。それはエジプトを脱出したイスラエルの人々を助けた神様の力だけれど、それも神様の偉大な力から私たちに「あなた方に道を用意しているよ」と語っているのです。 新約聖書ではイエスさまがレギオンという悪霊に取り憑かれた男から悪霊追い出した奇跡がありました。墓につながれ誰にも手をつけられなかった男は、周りも傷つけて自分自身をも傷つけてどうにもできなかったけれど、そんな男にイエスさまは近づき、悪霊に出て行くように命じました。すると豚に悪例が乗り移り多くの豚が崖から海になだれ込んだのです。男は正気に戻り、イエスさまの前に平伏し弟子になりたいと言いますが、家に帰るように言われます。そしてイエスさまを伝える人になりました。 神様にできない事は無い。天地万物を創られた神様は私たちに誇るような事はせずにその力をいつも私たちに表してくださるのです。 思うようにならない時、悩みどうすることもできなくて、苦しい時に救いがあります。 先日、ある講演を聞きに行きました。先端技術研究所の先生のお話でした。障害を持った人たちを集めてリーダーシップを育てて行くプロジェクトがあります。発達障害、身体障害の方達が研究に加わっています。苦手な部分を先端技術で補いながら得意な部分を伸ばして行くカリキュラムが個別にあります。親は子供に「こうさせたい」と願っていてもなかなか従来の学年別のカリキュラムの枠の中ではうまくいかないことがあり、苦手な部分を抱えた子供達もそして親も苦しむ場合が多くあります。タブレットや音声読み上げソフトなどを活用することで「こういう道がある」というのを示すことで神様が与えてくださった能力を引き出すことに役立っています。そして一人一人の成長に合わせてどのような助けが必要かということを考える必要があるのです。 神様は私たちを他と比べてうまくいかないことも含め愛してくださっています。 ローマの信徒への手紙8章37節「しかし、これらすべてのことにおいて、わたしたちは、わたしたちを愛してくださる方によって輝かしい勝利を収めています。」 イエスさまは苦しくてもいつも一緒にいてくださいます。ピタッとくっついてわたしの味方になってどんな苦しみを感じているのかをご存知です。そしてわたし以上の「十字架の苦しみ」を知っている方です。自分ではどうすることもできない罪、どうしても変えられないわたしを神様は変えてくださいます。 マタイによる福音書19章26節には、金持ちの青年に「それは人間にできることではないが、神は何でもできる」とおっしゃっています。神様の求めに応じて「お言葉通りこの身になりますように」と祈りましょう。神様がいつも味方でいてくれて、一緒にいてくださることに感謝しましょう。
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by katusikakyoukai
| 2018-12-09 17:10
| 新約聖書 ルカによる福音書
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2018年 12月 03日
今日はアドベント(待降節)の第一主日です。アドベント・クランツのローソクへこれから毎日曜日ごとに一本づつ火を灯します。 アドベントとはクリスマスまで4回の日曜日の期間です。 そして今日はクリスマス、つまりイエス様のお誕生日を向かって、イエス様が私たちの素晴らしい羊飼いであることをエゼキエル書からお話しします。 エゼキエル章のエゼキエルは旧約聖書の時代の預言者の名前です。 また「エゼキエル書」「イザヤ書」「エレミヤ章」をページ数が多いことから三大預言書とよびます。 さて士師記の時代の後、イスラエルの初代王にサウル王がなり、その後にイスラエルを統一したダビデ王、そのイスラエルを繁栄させ拡大したソロモン王と続きますが、それとともに異教の信仰も入り込むなど神の目には悪が蔓延ります。そしてイスラエルは北イスラエルと南のユダ王国の二つに分裂します。その後、北イスラエルはアッシリアに、ユダ王国はバビロンによって滅亡します。このバビロンに多くのユダヤ人が捕囚となりますが、このバビロン捕囚時代のユダヤ人の預言者です。 ユダヤ人の国の状況は、国がなくなってしまい、人々がどんどん 殺されてします。そのような暗黒な時代に「もう一度ダビデ王のようなメシヤ(救い主)」の来臨を望んでいました。(イザヤ書9;1~5)しかしエゼキエルはそのようなユダヤの民に神の警告と帰還の希望やメシヤの来臨の預言をします。 「今、あなた方がやっていることをわかっているのか。おいしい牧草を食べ荒らし、踏み荒す。それで良いのか? それなら神自ら牧者となり、自分の民を呼び集め、一人の牧者(メシア)を遣わし、傷ついた羊たちを癒そう」(エゼキエル書34章の主旨を意訳)とメシアであるイエス様の来臨を預言します。 このメシアの預言が世界で最初のクリスマスの時に成就します。イエス様はクリスマスのプレゼントを貰って喜ぶ方ではなく、むしろ私たちがイエス様から素直にプレゼントをいただくことを喜ぶ方です。洗礼や祝福、癒しのわざ、恵みを拒まずにいただきましょう。 そして、クリスマスを待ち焦がれてお祝いしましょう。 #
by katusikakyoukai
| 2018-12-03 11:47
| 旧約聖書 エゼキエル書
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2018年 11月 25日
旧約の時代、イスラエルの民を救い出しカナンの地を与えてくださった神様。主はイスラエルを通して全ての人たちを招いているということをルツ記は教えてくれています。全ての人が神様に作られ一人一人が家族を与えられて命をつなぐ祝福に招かれるように、本当の父に出会うように導かれているということです。ルツはモアブの娘です。異邦人として差別を受けていた人が家族となりイエス様の系図となり名前を残されています。それは、ただの物語ではなく、イスラエルの歴史、人類の歴史、ノンフィクションなのです。外国人とは交わってはならない、ユダヤの血をどれだけ守ってきたかは聖書にある通りですが、このルツ記を通してイスラエルの民だけではなく全ての民、世界の救いに繋がることを教えてくれる聖書箇所です。
ルツ記2章12節「どうか、主があなたの行いに豊かに報いてくださるように。イスラエルの神、主がその御翼の元に逃れて来たあなたに十分に報いてくださるように」ボアズの言葉です。主の御翼は異邦人のモアブの女ルツを守るために広げられました。「モアブ」とは「父から」という意味があります。アブラハムの甥のロトの子孫なのですが、娘が父からもうけた子供の子孫だということです。神様に従うナオミに「あなたの神はわたしの神」と言い姑を大切にし、ナオミに従ってきたルツを神様が心にかけて祝福してくださいました。その祝福は個人的にたった一人に導きを与えただけではなく、ずっと代々に渡り続くのです。 神様は独り子を世にお送りになりました。私たちの罪のために十字架にかかり、そしてよみがえりました。私たちを導いてくださり、生きておられる神様は、イエス様についていこうとするときに私たちに愛をくださいます。私たちが苦しみを受けるとき、ただ苦しむことが御心ではなく愛する思いを育ててくださり、そこから永遠に続く祝福があることを覚えましょう。
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by katusikakyoukai
| 2018-11-25 17:10
| 旧約聖書 ルツ記
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2018年 11月 18日
「あなたの民はわたしの民、あなたの神はわたしの神」ルツ記1章16節
いつでも神様ありがとうと言えることは生きる力です。 ナオミさんは、イスラエルのユダ族の出身です。お日様が出なかったり天候が悪くてイスラエルに食べ物がなくなってしまった時代がありました。その時にナオミさん一家はヨルダン川を渡り、東のモアブにやって来ましたが、ナオミさんの旦那さんのエリメレクさんが亡くなり、そしてなんと二人の息子さんまで亡くなってしまいました。二人の息子のお嫁さんはモアブ出身で本当の神様を知らない人でした。イスラエルの地に帰ろうとしたナオミさんにお嫁さん二人オルパさんとルツさんがついて来たのですが、ナオミさんは二人に「帰りなさい」と言います。 オルパさんはナオミさんの元を離れますが、ルツさんは、 「あなたを見捨て、あなたに背を向けて帰れなどと、そんなひどいことを強いないでください。」「あなたの民はわたしの民、あなたの神はわたしの神」 そう言ってついて来たのです。 どんなときもナオミさんは神様を信じて生活をしているから、ルツさんもナオミさんにそして神様についていきたいと思ったのでしょう。 神様を知らなかったルツさんはやがてイスラエルの人と結婚をして子供を産みます。やがてイスラエルの王ダビデのおじいさんになる人です。そしてダビデから繋がりベツレヘムにイエス様がお生まれになるのです。イエス様はいつも私たちと一緒にいます。悲しいことがあってもいつでも守ってくださる方です。 「助けてください」と祈る時に私たちを愛してくださっていることを見せてくださいます。
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by katusikakyoukai
| 2018-11-18 11:47
| 旧約聖書 ルツ記
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