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2020年 01月 12日
台風で被害を受けた地域の支援のために働いている兄弟が、写真で現地の様子を知らせてくれました。台風からもう三ヶ月も経っているのにいまだに支援が行き届かないで寒い避難所で過ごしている人たちがいることは、あまりニュースにもされずに知られていないことです。浸水1メートル以下だと何の援助も無くて大変だとのことです。ボランティアの人たちが泥のかき出しや家具の整理などを継続して手伝っているそうですが、そのボランティアに参加している人はかつて震災を経験した人たちが多いそうです。神様は何を求められているのでしょうか?
「喜ぶ人と共に喜び、泣く人と共に泣きなさい。」ローマの信徒への手紙12章15節 さて、敵だと誤認して旅客機を爆撃してしまうという事件が起きてしまいました。武力で国を守るということは、戦争を経験された方のお話から私たちはそれがどれほどの脅威であるか考えなければなりません。 5つのパンと2匹の魚の話を思い出しましょう。イエス様の話を聞きに集まった群衆、いま解散させれば、男性だけで5000人も集まった群衆がそれぞれ自分で食料を得に散っていくと弟子たちは考えていました。何の役にも立たないのでは無いかと思われた5つのパンと2匹の魚はイエス様の元で次々に群衆の一人一人を満腹にさせるものになりました。私たちも持っているものをイエス様に委ねた時に力を得させてくださることを知りましょう。 パウロがローマの信徒への手紙で示しています。 「口でイエスは主であると公に言い表し、心で神がイエスを死者の中から復活させられたと信じるなら、あなたは救われるからです。実に、人は心で信じて義とされ、口で公に言い表して救われるのです。」ローマの信徒への手紙10章9〜10節 一人一人が目に見えない戦いがあります。それぞれの悩みを抱えて生きながら、常に「イエス様を信じます。ゆだねます。愛します。」と自分の口で告白した時に神様の導きが与えられます。その導きに今日も従って行きましょう。 #
by katusikakyoukai
| 2020-01-12 15:52
| 新約聖書 ローマの信徒への手紙
2020年 01月 05日
2020年、年頭聖句として、「そのように、あなたがたの光を人々の前に輝かしなさい。人々が、あなたがたの立派な行いを見て、あなたがたの天の父をあがめるようになるためである。」マタイによる福音書5章16節を与えられました。暗闇を照らす光としてこの世に来てくださったイエスさまが私たちに語っているのは、私たち自身が輝いて光となるようにとのことです。まわりにクリスチャンがいない環境の人も多くいます。家庭でも会社でもクリスチャンは一人だけという状況の時でこそ、地の塩、光となるよう神様はいつも語りかけています。
聖書を通して「神様の愛」をローマの信徒への手紙8章から知ることができます。「わたしたちは、わたしたちを愛してくださる方によって輝かしい勝利を収めています」 様々な困難にあった時、また心穏やかではない時、「それでもあなたを愛しているよ」と語ってくださいます。2020年こそは災害の少ない、争いの無い年を望みますが、聖書には終わりの時にはそれらのことが起こることが示されています。わたしたちの信仰を通して招いてくださっています。下を向いていたら悪魔の声にやられてしまいます。光であるイエスさまを見上げているならば、わたしたちを神様から引き離すことはできません。 カナンの地で40年もさまよっても飢えもせずマナを欠かさずに与えてくれた神様が私達に語りかけてくれます。物質的に肉体的に精神的に責められる場合でも私たちにイエスさまの光を灯し続けてくださるのです。 イエスさまは弟子たちを一つにしてくださいと祈りました。私たちが結束して一つとなった時により光が与えられることを信じます。
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by katusikakyoukai
| 2020-01-05 20:19
| 新約聖書 マタイによる福音書
2019年 12月 30日
いよいよ令和元年が終わり新年になります。今日はヨシュア記24章ですが、まさに時代の変わり目を表す箇所です。今日の聖書個所の場所は、新約聖書ヨハネ4章のサマリアの女の舞台と同じところです。しかし時代は千年以上も前になります。モーセの従者だったヨシュアが自分の時は終わり次の世代に引き継ごうとします。そこであらためて神とイスラエルの民が約束をします(シケム契約)。モーセもヨシュアも神の驚異的な業を目の当たりにしてきました。言わば見えるものを信仰した時代でした。しかしこれからは違います。見えないものを信じる信仰の時代を迎えるのです。葦の海が割れた話もモーセが十戒を神から授けられた話もすべてが昔話になっていくのです。その昔話を信じる信仰の時代を迎えます。それは今の私たちと同じです。新しい年を迎えようとしている私たちにふさわしい聖書個所として私は聖霊に示されました。 さてヨシュア記24章では神はヨシュアを用いてイスラエルの民にあえて信仰の選びのチャンスを与えます。「あなたがたの先祖たちが川の向こう、およびエジプトで仕えた神々を除き去り、主に仕えなさい。もしも主に仕えることがあなたがたの気に入らないなら、川の向こうにいたあなたがたの先祖たちが仕えた神々でも、今あなたがたが住んでいる地のエモリ人の神々でも、あなたがたが仕えようと思うものを、どれでも、今日選ぶがよい。私と私の家とは、主に仕える。」(新改訳ヨシュア記24:14,15) このようにイスラエルの民の信仰が少しも定まらないことに対して神は信仰の選択を民にせまります。イスラエルの神が真の神であり唯一の神であるとは迫らずに民のいしによって真の神への信仰を選び取らせようとしています、それも「今日」です。この「今日」は「直ちに」ということです。24時間あるという意味ではありません。「すぐに」自分の「意思」で選びなさいということです。さてここで新約聖書のメシア受胎告知の場面を思い出してください。マリアが聖霊によって主イエスを授かると大天使に告げられた時、彼女は「御言葉どおりに、この身になりますように」と応えています。これは大変な決心を即座にした場面です。彼女はその言葉の前に自分を「主のはしためです」と言っています。これはただの謙遜からでたことばではありません。「はしため」とは召使いや使用人を指す言葉で、けっして奴隷ではありません。この場面の「わたしは主のはしためです」を意訳すれば「私は身分の低い者にすぎませんが、自らの意思で主の御心や御言葉に従います。聖霊が宿してくださるメシアの母になります」という素晴らしい信仰の決心を表しています。「まだ未婚です。年も若く、そのようなことはしばらく考えさせてください」ではないのです。まさにヨシュア記24章でイスラエルの民に真の信仰を迫った神の「今日(ただちに)」で、彼女は信仰の決断をしたのです。そして神の栄光を輝かせるお役をいただいたのです。 さてビートルズのポール・マッカートニーの歌に「Let it be」という歌があります。この歌詞の和訳のほとんどが「そのままでいい」「わるがままでいい」ときには「自分の思うままでよい」と訳されています。しかしこの{Let it be}は英語の聖書(RSV)ではマリアが「御言葉通りにこの身になりますように」という場面で使われている言葉です。世の中の英語訳はまさに世の中を表しています。神の御心も御言葉もなく自分中心なのです。しかしクリスチャンにとって「Let it be」は神様の御心のままに、御言葉に従いますという信仰の生き方を表しています。同じ言葉なのに世の中とクリスチャンはとらえ方が違います。わたしたちクリスチャンは、特に欠けだらけの私などは「現実はキリストの教え通りにいかないよね」とか「現実とクリスチャンの理想は違う」とか、とかく現実が神よりも先に来ます。言い換えれば現実や世の中が「わたしの主」になっています。しかし新年からは日々「Let it be」の言葉を吟味して現実や世の中という言葉や言いわけを「わたしの主」にしないように生きてみましょう。現実は神を変えることはありませんが、神は現実さえ変えてくださるお方です。神優先、神第一の生き方によって、むしろ現実や世の中が変えられます。 お祈りいたします。 #
by katusikakyoukai
| 2019-12-30 17:51
| 旧約聖書 ヨシュア記
2019年 12月 22日
イエス様がお生まれになったということは、私たち罪人のために神が人となってこの世に来てくださったということです。ピンとこないかもしれないけれど、これはすごいことなのです。ルカによる福音書の2章に羊飼いのところに天使たちが現れてイエス様のお誕生を知らせた場面があります。野宿をしながら羊の番をしていた羊飼いのところに「牧人ひつじを」「荒野の果てに」の賛美歌で歌われているように天使の歌が聞こえて来ました
「いと高きところに栄光神にあれ。地には平和、御心に敵う人にあれ」寒くて淋しい夜の荒野に響いた天使の歌声でした。 私たちはどんなところでもいつでも神に賛美を捧げることができます。イエス様のお誕生はそれを可能にしてくださり、喜びを与えてくださったのです。驚き恐れている羊飼いに天使が「恐るな。わたしは、民全体に与えられる大きな喜びを告げる。今日ダビデの町で、あなたがたのために救い主がお生まれになった。この方こそメシアである。あなたがたは、布にくるまって飼い葉桶の中に寝ている乳飲み子を見つけるであろう。これがあなたがたへのしるしである。」 その印を羊飼いたちは見に行って神様の業を確信し喜びに満たされるのです。 神様は大変なことが起こった時にも守ってくださいます。先日ちょっとしたミスから車をぶつけてしまい損害を出しましたが幸い怪我がなく守られていることを感じ感謝しました。様々な問題を抱えている人もいると思います。問題があることが問題なのではなく、問題を問題だと思っていることが問題だと言われます。いつでも守ってくれる神様を信じましょう。 イエス様が死なれたのは私たちを罪の力から自由にしてくださるためです。こんな罪深い私でも愛してくださることを理解する時に力が湧きます。何があっても一緒にいてくださり愛を示してくださる神様に感謝し、賛美しつつ進んでいきましょう。 #
by katusikakyoukai
| 2019-12-22 15:12
| 新約聖書 ルカによる福音書
2019年 12月 15日
クリスマスの時期を迎えると、私たちは神様が私たちを愛してくださっていると感じることができます。
馬小屋の中で生まれたイエス様のところへ、博士たちや羊飼いたちがやってきました。お城ではなく馬小屋で生まれ、餌を入れるところ飼い葉桶の中に寝かせられている姿というのは、たくさん絵に描かれたり飾りになったりしていてクリスマスの時期に飾られるからよくみなさんも知っていることでしょう。 ヨセフとマリアは人類史上初の住民登録をするためにナザレからベツレヘムへやってきました。東京から静岡くらいの距離があります。大変な思いをしてお腹を抱えてやってきたマリアさんが最初にイエス様をお迎えしたのです。天使がやってきて救い主の誕生をお告げした時にはびっくりしました。「あなたのお腹に救い主が宿ります」と言われ、どれだけ驚いたことでしょう。けれども「神にできないことは何一つない」という言葉を信じて心の中でまずお迎えしたのです。 神様は私たちを愛している印を見せてくださいました。イエス様のお誕生を迎えながら、神様からの愛をみなさんで一緒に大いに喜びましょう。
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by katusikakyoukai
| 2019-12-15 16:10
| 新約聖書 ルカによる福音書
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