2020年 03月 29日
わたしにつながっていなさい |
ヨハネによる福音書の後半はイエスさまが十字架にかかる前の晩に語られたことが記されています。自称「イエスさまに一番愛された弟子」として隣の席で食事をしていたヨハネにとって十字架は衝撃でした。「わたしはぶどうの木です」と語られました。幹から切り離されてしまったら枯れてしまうのが私たちです。もちろん繋がっていれば美味しい実を豊かにつけることができる。イエスさまが十字架で死なれたこと、それは私たちの罪を取り除き愛することができない私たちの不自由さを自由にしてくださる。
改めてこの福音書を読んでみますと、「あなた方は信じない」と言う言葉が何度も繰り返されている。そう言う人たちの姿が繰り返し描かれているのです。イエスさまは「わたしは天の父のところから来て、そしてまた天の父のもとに帰るのだ。私が話していることもやっていることも私の意思でやっているのでは無いのだよ。天の父が私にしてほしいということを語っているのだ。だけどどうしてあなた方はそれを信じないのか?」繰り返しそのように語っています。私たちの中にあるなかなか神様を信じることができない、そういう不自由さ、でも私たちを本当に自由にしてくださるためにイエスさまの言葉の中に真実があるのだ、救いがあるのだということを私たちが信じることができるようにイエスさまは十字架で死ななければならなかった。そのことがヨハネによる福音書を読むたびによくわかります。私たちは聞いても思い込みや自分の考えがあるとなかなかその言っていることが本当だとしても本当だとは受け止められない、そういうことがあると思います。何んて不自由な者かなと思いますけれども、でも今新型コロナウイルスが世界中で広がっていて多くの方が亡くなっている中に、私たちが直面する死というもの、どうしようもない恐れやまた悲しみ、その中に神様が愛してくださるということは本当なのか、どういうことなのかということを私たちはこの時こそイエスさまのご自身の死の姿を見つめたいと思うのです。その中からイエスさまが何を語っておられるのかということを、それがヨハネによる福音書をはじめマタイ・マルコ・ルカ・ヨハネと4つの福音書、それがそれぞれにイエスさまの生涯、語ったことを記しているわけですけれども、特にヨハネによる福音書はイエスさまの十字架に向かっていく姿、そしてイエスさまが十字架にかかる前に語られたこと、イエスさまがどのように十字架で死なれていかれたかということ、そして、イエスさまが3日目に墓の中から復活して姿を現されたこと、そこでイエスさまがどんなことを語っているのか、今日は一部ですけれども、本当にそこに救いがあるということ、また、私たちを神様に愛されているものとして自由にしてくれる、イエスさまの福音がそこに示されているから、ですから今日は15章を開いていますが、そこからいろいろ聞きたいと思うのです。
by katusikakyoukai
| 2020-03-29 14:02
| 新約聖書 ヨハネによる福音書