主イエスの祈り 三好伝道師 |
聖書箇所:ヨハネ17;20〜26節
説教題:「主イエスの祈り」
中心聖句:ヨハネ17:26「わたしは御名を彼らに知らせました。また、これからも知らせます。わたしに対するあなたの愛が彼らの内にあり、わたしも彼らの内にいるようになるためです。」
今日はレントの中にあって、十字架に向かわれる主イエスのなさった祈りについて分かち合います。
さて最初にお聞きします。あなたは祈るときどのようなスタイルのお祈りをなさいますか?
①手をあげて祈る。②立ち上がって祈る。③ひざまずいて祈る。④手を合わせて祈る。⑤目をつぶって祈る。⑥声を出して祈る。あるいは、黙って祈る。いろいろそのスタイルはありますね。では聖書には祈りのスタイルについてどう書かれているでしょうか?
1テモテ2:8「だから、わたしが望むのは、男は怒らず争わず、清い手を上げてどこででも祈ることです。」とあります。まずは手をあげて祈るスタイルがありますね。歴史を見ると2〜5世紀頃のローマの地下にカタコンべと呼ばれる共同墓地で、クリスチャンの迫害時に礼拝にも使われた場所に手をあげて祈っている人物画の壁画があります。オランスと呼ばれていますが、ラテン語で「手をあげて祈る人物」を指します。聖書なら有名な箇所で出エジプト記17章では、モーセがアマレクとの戦いの時に手をあげて祈っています。この手をあげて祈るスタイルを聖書は勧めているのでしょうか。歴代史上17章ではダビデが座して祈っています。歴代史下30章では祭司たちが立ち上がって祈っています。エズラ記では身を伏せて祈っています。聖書は特定のスタイルで祈ることを求めていないようです。ヨハネ4:13に「霊と真理をもって」と心のあり方が大切であることを主イエスは示しています。やはり形ではなく心なのですね。しかし大切な祈りについての教えがあります。「わたし(主イエス)の名によって願うことは」と主イエスのお名前で祈りなさいと教えてくださいました。ただ主イエスの名を唱えれば良いのではなく、そこには主イエスへの信仰が必要ということです。とくに14節を見ると十字架の贖いによる神の栄光が言及され、私たちが主イエスをメシアであり、その十字架の福音を信じて祈りなさいとわかります。
では、今日の聖書箇所ヨハネの17章より「主イエスの祈り」はどうでしょうか? 主イエスの祈りは「ゲッセマネの祈り」や「主の祈り」が有名ですが、ヨハネの17章は主イエスの愛の祈りが記されています。別名「大祭司のとりなしの祈り」とよばれているところです。最初は父と子なる主イエスの栄光のための祈りから始まります。10節ではクリスチャンによっても主イエスは栄光で輝くことも証し、感謝しています。15節ではクリスチャンのための祈りと続きます。20節では伝道によって新たにクリスチャンになった信仰者のために祈っています。主イエスの御心は私ひとりの救いではなく、信仰の継承を願うことがわかります。これは私たちも十分にこの御心を感じ取るべきことです。そして21章からキリストの奥義とも言うべき旧約時代には隠されていて、新約の主イエスの登場によって明かされたミステリー、奥義です。父なる神と主イエス、さらにクリスチャンをも愛の交わりの中で一つになれるということです。神様が、主イエスが私たちの中に、また同時に神様と主イエス様の中に私たちがいるという素晴らしい福音です。これはレントの先にある主イエスの十字架の贖いによって私たちが神と交わることができるように私たちの罪を買い取ってくださったから出来ることです。このことを難しい神学的な言い方なら「神との和解」と言います。ときどきキリスト教の本などに登場する言葉なので頭の隅に入れておいても良い言葉です。さて、ここで重要なことは、私たちが主イエスを信じたいと望んだきっかけは、全てではないですが多くの人が「良い人になりたい」と思う気持ちからです。自分の力では、どうにも良い人になれない。しかし信仰により愛の神が自分の心に住むことによって心が神の愛に満たされ、壊れた心が修復されるのです。よく聞く言葉に「主イエスの心を心として」というのがあります。私たちの心の中に主イエスが住んでくださり、そして私たちの心が主イエスの愛に満たされて変えられるのです。まさに良い人、素晴らしい生き方ができる者に変えられるのです。これがクリスチャンに与えられた素晴らしい神からのプレゼント、恵みです。信仰がなければ、決して与えられないものです。この神が私の心に住み、神の愛に満たされ心がきよく変えられることを「きよめ」と言います。レントにあって、ただ主イエスの受難を覚え、悔い改めだけでなく、主イエスが十字架に向かわれたとき祈られた主の祈りの望みである主と一つになること、そしてきよめられることも十分に覚えましょう。この大切な十字架の福音を信じる者だけが得られる「きよめ」のすばらしさを確認しましょう。すでに信仰のあるかたは、神のくださる「きよめ」を感謝して伝道しましょう。まだ信仰のない方は、主イエスを信じてこの素晴らしい良い生き方のできるように信仰の決心をしましょう。