2020年 03月 15日
ここから主を愛する |
今年度最後の親子礼拝です。今週木曜日には幼稚園の卒園式もあります。子供たちを愛しておられる神様がいらっしゃることを確かめながら歩みたいです。こんな時こそ「わたしはあなたと共にいるという」神様の言葉を心に留めましょう。
「わたしの目にはあなたは高価で尊い。わたしはあなたを愛している」イザヤ書43章4節(新改訳)
いつも私たちに『あなたはとても大切だ、わたしの愛する子供だよ』とおっしゃってくださっていることを覚えましょう。
今は受難節です。イエスさまの十字架を覚える季節です。どうして十字架にかかって死なれたのか、そのことをどうしてかと思いながら聖書を読んでいくと、私があなた方を愛しているからだよ、そして、あなたたちが互いに愛するためだよと、イエスさまがおっしゃっていることがわかってきます。イエスさまの十字架、酷い言葉をかけられ、苦しんで死なれました。しかし、3日後に復活して今日も生きておられる。私たちを愛し導いてくださるのです。イエスさまの十字架は何のためかというと、私たちがどんなに罪深い者であるかということを知る時、生きていてもしょうがない、愛される資格もない、と思う時に、それでも、「わたしは愛している」。聖書の中で「罪の支払う報酬は死です」とあります。
「僕は生きていてもしょうがない」と思う心が、罪の結果なのだと、でも、「あなたは死ななくても良い。あなたはヒーローだ」と十字架を通しておっしゃってくださっている。悪魔は「お前なんかダメだ」と責めるけれど、「十字架で全部赦された。信じなさい。」と言ってくださっている。「こんな僕のためにイエスさまは十字架で死んでくださったのですね。信じます。愛してくださって、ありがとう」という時に、罪の重荷を取り去ってくださって愛する力を与えてくださる。
今日の聖書の箇所、ヨハネによる福音書12章はイエスさまが十字架にかかられる前に、イエスさまのことが大好きな兄弟たち(マリア、マルタ、ラザロ)のところへ行き、食事をした時の話。イエスさまは十字架にかかることがわかっていたけれども、弟子たちはわかっていなかったし想像ができなかった。けれども、「命を得るためにわたしは命を捨てる」と言うことをちゃんと聞いて理解をしていたのがマリアでした。マリアは自分には何もできないと思っていたかもしれないけれども、イエスさまが大好きでした。イエスさまのお話をよく聞いていました。ラザロを生き返らせてくれたイエスさま。マリアは高価な香水、ナルドの香油をイエスさまの足に掛けました。髪の毛で足を拭きました。弟子の一人が言いました。「なんて無駄なことをするんだ。売ったら300万円にもなる。貧しい人に分けたら役に立つのに」でも、イエスさまは止めてはいけないと言いました。誰もイエスさまが十字架にかかることを理解していなかったけれど、イエスさまに一番ふさわしいことをすることができたマリア。
私たちはどうかな?マリアみたいに何をやってもうまくいかなかったりする人を非難するかもしれない。イエスさまはそれでも褒めてくださいました。立派なことを言っても心に愛が無いことを思います。でも、イエスさまの十字架は愛が無い弟子たちの姿を教えてくれます。それでも、あなたを愛しているよ、と言うことを伝えて欲しいと語ってくださいます。
by katusikakyoukai
| 2020-03-15 11:24
| 新約聖書 ヨハネによる福音書