2019年 11月 25日
いつまでも残るのは 三好邦夫伝道師 |
今日はパウロがいろいろあった人生の終わりの方に近づいて神に啓示されたことをお伝えします。彼は若い頃に誤った信仰からクリスチャンを迫害し、ときには殺していた大罪人でした。その彼さえも愛されて罪を赦し、心を正されて、使徒として用いてくださる神の愛。結局はその「神の愛」こそが最も偉大なものでした、とコリントの信徒へ手紙を書いて送っています。このコリントにある教会もパウロが開拓伝道して建てられたものです。しかしパウロが他の地域へと伝道旅行に行くことになり、その地を離れるとすぐに問題の多い教会になりました。そこでパウロはその問題を解決するために叱責とアドバイスを手紙にします。その手紙の最後の方にコリントの教会の信徒へ「いつまでも(最後まで)残るものは、信仰と希望と愛(神の愛)」であり、「その中でも一番偉大なもの(大切なこと)は愛(神の愛)である。」と強調しています。
主イエスが私たちに新しい掟としてヨハネによる福音書13:34、35「「あなたがたに新しい掟を与える。互いに愛し合いなさい。わたしがあなたがたを愛したように、あなたがたも互いに愛し合いなさい。 互いに愛し合うならば、それによってあなたがたがわたしの弟子であることを、皆が知るようになる。」とあります。私たちはこの節を読んで、安易に主イエスの良い言葉と感じるかもしれません。しかし注意したいのはただ「互いに愛しあいなさい」ではなく、「私が(神が)あなた方を愛したように」とあるように人間が自然に得られた愛ではなく、信仰によって神が人間に与える神の愛を、それで互いに愛しなさいということです。主イエスは十字架の上で自分の命を犠牲にして私たちの罪を贖罪されました。それも私たちが罪人であるときに神に愛されたのです。なんと素晴らしい神の愛でしょう。その愛で互いに愛しなさいということです。
私たちは言うに及ばず「信仰」の大切さを知っています。また信仰により与えられる「希望」も得ています。しかしそれもこれも神の愛あってのことです。ただ自分が生まれたままの姿で、あるいは成長して得られる愛ではないのです。信仰によって義とされ神の恵みによって与えられる愛、その愛で満たされ、溢れ出る神の愛で互いに愛し合うことこそ、パウロがクリスチャン人生の最大の神に啓示された賜物であったと言ったのです。そのことをもう一度、自分の愛と比べて吟味しましょう。
by katusikakyoukai
| 2019-11-25 10:27
| 新約聖書 コリントの信徒への手紙