2019年 09月 08日
主の慈しみに生きる人、主を愛せよ |
敵に囲まれているように心が押しつぶされそうになっている時でも、イエス様を見上げて助けを求める人は、神様は愛を持って導き救ってくださいます。
敬老を迎えた方々も、若い人たちも詩篇の言葉に励まされて進んでいきましょう。
詩篇31篇はダビデの詩です。ダビデがどのようにして神の愛を学んだのかを考える時、生涯の中で様々な苦しみを経験した人物でした。
サムエルの手により油を注がれ、それから苦しみの日を歩みました。在任中のサウル王の憎しみを負い続け、その中で神様を頼り、信頼していました。
ダビデはサウルを主に油を注がれた方として尊重していました。しかし、サウルはダビデを人々が賞賛している様子を妬ましく思っていました。そして執拗にダビデを殺せと部下を遣わして出陣し、敵として殺そうと迫っていくのです。
ある時ダビデは、休んでいるサウルの陣営に近づきます。アビシャイが「槍で一突きにしましょう」という時に「主が油を注がれた方に手を下してはいけない」と言い思いとどまらせます。ダビデにとってサウルは命を脅かす存在です。神様から退けられている存在でもありましたが、ダビデは、サムエル記上26章24節で「わたしがあなたの命を大切にしたように、主もわたしの命を大切にされ、あらゆる苦難からわたしを救ってくださいますように」と語るのです。
部下の妻バトシェバと関係を持ち、その部下ウリヤを戦いの最前線に出し死なせたことを預言者に告白し「わたしは主に罪を犯しました」と罪を認めたのでした。しかし、主の赦しを受けることができたのです。それは、かつてのダビデが悪としか思えないサウルも神が愛しておられるということを、ダビデの魂がそのことを学んだのです。
ダビデ自身の罪から神の愛を受けることができた備えなのでした。
詩篇31篇24節に「主の慈しみに生きる人はすべて、主を愛せよ。主は信仰ある人を守り、傲慢な者には厳しく報いられる」とあります。主の慈しみとはヘブライ語で「ヘゼド」です。これは、耐えることがない今日も神様が愛してくださる喜びのことです。苦しみの中で私たちが信頼する主の助けを経験に基づいた喜びのことです。
コリントの手紙13章に愛について書かれた箇所は有名です。パウロがコリントの人々に書いた手紙で「愛は忍耐強い。情深い。ねたまない」とあります。
私たちの愛は裏切るように仕打ちを受けたら憎しみ蔑みに変わっていきます。しかし、神様の愛は忍耐強く、情け深いのです。
イエスキリストをメシヤだと信じなかったパウロは弟子を苦しめていました。神様への反逆だったのに神様はパウロを愛し続けていたのです。コリントの街は栄えていましたが如何わしい場所で結婚関係も乱れていました。イエス様の愛を受けたパウロがコリントの人たちを愛し手紙を書いたのです。
私たちも自分は間違っていた、どうしたらいいのだろう、というときもどんな罪も神様の前に悔い改めて告白し、イエス様の十字架の愛を信じた時にいつでも神様の愛に導かれることを信じましょう。
by katusikakyoukai
| 2019-09-08 20:36
| 旧約聖書 詩篇