天国の賛美 |
聖書の一番最後にある黙示録は、主イエスの復活の証しを晩年まで宣べ伝えた使徒ヨハネが記した。このヨハネはその他にヨハネによる福音書、ヨハネの手紙1、2、3の記者でもある。そして地上生活最後にパトモス島にて神から啓示を受けてこのヨハネの黙示録を残した。
黙示録21章1節から3節「1 わたしはまた、新しい天と新しい地を見た。最初の天と最初の地は去って行き、もはや海もなくなった。2 更にわたしは、聖なる都、新しいエルサレムが、夫のために着飾った花嫁のように用意を整えて、神のもとを離れ、天から下って来るのを見た。3 そのとき、わたしは玉座から語りかける大きな声を聞いた。『見よ、神の幕屋が人の間にあって、神が人と共に住み、人は神の民となる。神は自ら人と共にいて、その神となり、4 彼らの目の涙をことごとくぬぐい取ってくださる。もはや死はなく、もはや悲しみも嘆きも労苦もない。最初のものは過ぎ去ったからである。』」と福音が書かれている。
主イエスは復活の後に天に戻られたが、かたや弟子たちはその後大変な迫害にあっていく。この弟子たちは主イエスが贖いの十字架に架けられる時に逃げ隠れした者たちであったが、主イエスの復活はその彼らの人生を変えていった。ますます迫害を受けるながらも、さらに信仰は深まり敬虔なクリスチャンとして生きて行ったのである。
迫害ははじめはユダヤ人からであったが、その後、ローマ皇帝から激しい迫害を受けた。その迫害に彼らは耐えた。主の復活の証しは牢に繋がれることなく、ローマ全土を越えて世界へキリスト教は布教された。それもヨハネの手紙一4:10にあるように「私たちが神を愛したのではなく、神が私たち愛した。」からこの艱難を乗り越えられた。人の力や努力ではできない神の御業がそこにある。
ヨハネの黙示録は私たちに神の約束を啓示する。それは、どのような迫害や艱難があろうとも最後は主イエスを信じる者たちが勝利すると。その必ず成就される約束ゆえに日々の艱難の中でも私たちは黙示録にあるように主に賛美を捧げられる。神への賛美のうちに今を生きて行こう。