2019年 04月 14日
命の光 |
受難週になりました。パームサンデー(棕櫚の主日)です。
讃美歌522番「道にゆきくれし」は、昨日告別式が執り行われた姉妹の好きな讃美歌でした。あまり教会では今まで歌われてこなかった賛美でしたが、歌詞を味わってみて改めて姉妹の信仰を証しするものだと気付かされました。道に迷い、途方にくれてこれからどうなってしまうのかと暗い心のうちにあるときに、天の父を仰いでその御心を聞きなさいと。憂いの雨は〜と希望の歌詞が続きます。主を信頼する人に愛をもって報いてくださる、聖書を通して神を求めていくということは、喜びを与えてくださることへとつながっています。
コリント人への第1の手紙13章で「愛」のことが記されています。「知識があっても、信仰があっても、愛がなければ、無に等しい」「愛は忍耐強い。愛は情深い。ねたまない。愛は自慢せず、高ぶらない。礼を失せず、自分の利益を求めず、いらだたず、恨みを抱かない。不義を喜ばず、真実を喜ぶ。すべてを忍び、すべてを信じ、すべてを望み、すべてに耐える。」このような愛で私たちも愛したいです。私たちはこのようなイエス様の愛をすでに受けています。
「イエスは言われた。「わたしは道であり、心理であり、命である。わたしを通らなければ、だれも父のもとに行くことができない。」」
ヨハネによる福音書14章6節
愛は神様から出るもので、それは私たちを満たしてくれるものです。善人にも悪人にも同じように雨を降らせてくださいます。
その愛は、忍耐が必要です。苦しみを通してではないと得られない大きな愛があります。十字架の苦しみは4つの福音書にそれぞれ描かれています。
イエス様を道として歩み、イエス様の言葉を信じて進んで行った時に、たくさんの愛で満たされるのです。
by katusikakyoukai
| 2019-04-14 20:19
| 新約聖書 ヨハネによる福音書