真の礼拝を求めて 三好邦夫伝道師 |
日本ではクリスマスは12月25日で終わるのが普通ですが、キリスト教の世界では、1月6日の公現祭までクリスマス期間です。公現祭とは、異邦人への救い主キリストの顕現を記念する日です。これは東方の国からはるばるベツレヘムに来た占星術の学者たちが救い主キリスト・イエスの御降誕を祝い、礼拝を捧げたましたが、そのことを異邦人への主の救いの始め、つまり異邦人への神の現れとする記念です。わたしたちはこれをほのぼのとした昔話のように受け取ります。しかし実際には、そこには深い神様のメッセージが込められています。
当時のユダヤ人にとって東方とは、ユダヤの国を滅ぼし、ユダヤの民を捕囚した敵国のあった地域です。また占星術は、聖書によりユダヤ教でもキリスト教でも禁じられた死罪に相当する行為です。つまり彼らは決死の思いで、私財の殆どを使って、自分たちを嫌うユダヤの国へ、「ただ救い主に礼拝を捧げるため」の旅をしてきたわけです。そしてその思いは神の憐れみによって成就しました。しかしその一方で彼らからユダヤの新しい王、メシアの誕生の話を聞かされたヘロデ大王は、救い主を自らの王位保身のため殺そうと企み、「生きた真の神への真の礼拝を捧げるチャンス」を棒に振ります。このヘロデ大王は、「ヘロデ神殿」といわれるほどの壮大なエルサレム神殿を再建した人です。彼こそ、この東方の三博士ともにご降誕の主イエスに神殿を捧げ、礼拝をする最高に良い条件の王でした。しかし彼の罪深い心は、その選択を誤りました。神はその心を見抜き彼を主イエスから遠ざけました。
さて羊飼いはどうでしょうか。彼らは天使からメシア誕生の知らせを聞くと「さあ、ベツレヘムへ行こう」と決心して降誕したメシアである救い主イエスに礼拝を捧げる機会を得ました。この羊飼いたちは決して恵まれた境遇にいる者ではなく、むしろ社会の底辺にいる者たちなのです。このようにマタイ福音書は、嫌われ者、あるいは社会の底辺にいる者たちへの「真の礼拝を望む決心」に応答して、神は憐れみ深い愛を彼らに示されたことを記述しています。しかしヘロデ大王のように、神の住まいとして荘厳な神殿を再建したにもかかわらず、また同時にそれを捧げつつ礼拝をするチャンスに恵まれながら保身に走るようなロデ大王を主イエスから遠ざけました。この両者の対比を明確に描くことによって、わたしたちの礼拝のあり方や心のあり方を問うています。「あなたは自分を中心とした心や自分の都合で、真の礼拝を遠ざけているのではないか」という問いかけです。
ところでマタイ福音書は、エルサレムの市民についても言及しています。彼らはユダヤの新しい王と聞いて不安になったのです。これは直接、聖書は解説しておりませんが、当時のユダヤ人にはその解説が不要だったからでしょう。当時のユダヤの国はシリヤ、そしてその次にはローマ帝国に支配されました。そしてその支配から開放されるためにマカバイの乱をはじめいくつかのユダヤの独立戦争がありました。そして、その戦乱を経験しました。
そのときも新しいメシアが登場したとか、新しいユダヤの王の登場の話がありました。だからエルサレムの市民は新しいユダヤの王と聞いて、また戦乱が来るのかと不安に思ったわけです。この不安な心により、主イエスの御降誕のときに礼拝を捧げるチャンスを逃しました。