2018年 09月 02日
祈りのちから |
暑い夏が終わり9月になり、ホッとしている方も多いでしょう。「祈りのちから」という映画が二年前に公開され、この映画に力づけられました。隠れたところで天の父に祈り、壊れていた家族の関係が結び合わされていくという話でした。
ヤコブの手紙5章7節「兄弟たち、主が来られる時まで忍耐しなさい」とあります。イエス様は決して私たちを見下したり見放したりせずに罪人と呼ばれる人とも関わってくださいました。私たちの罪を背負ってくださったこと、その忍耐を私たちは主の慈しみ深く憐れみに満ちた姿として知っていく必要があります。罪を背負うとはどのようなことかと考える時に、悪いことをしてはいないから罪は無いと考えてしまいがちですが、最近、虐待やネグレストという話題を耳にします。暴力ではなく関わるべき人が関わらない、関わろうとしないこともそれは虐待であり罪になります。若いお母さんが幼い子を死なせてしまった事件がありました。それはネットでチャットをするのに夢中になり昼夜逆転の生活を送りながら幼い子供の面倒を見ずに死なせてしまったそうです。私たちも、親しくしているようで心がけがなくて、そのままになってしまったり、大切なことを忘れてしまって傷つけてしまったりしていることは無いでしょうか?
良いサマリア人の話の中の祭司やレビ人のように見て見ぬ振りをして愛を働かせないでいることは無いか、考えましょう。
ヤコブの手紙5章13節「あなたがたの中で苦しんでいる人は、祈りなさい」
16節に「だから、主に癒していただくために、罪を告白し合い、互いのために祈りなさい」とあります。
忍耐し関わってくださる神様は、私たちの人生の重荷を軽くしてくださいます。
by katusikakyoukai
| 2018-09-02 16:18
| 新約聖書 ヤコブの手紙